俺が東京に戻ったら、さっそく あっぱれな秋晴れだ〜〜!!
ドワハハハハハハッ 俺は晴れ男だ〜〜〜....... しーん ( ̄― ̄;)
...なわけで、久々に大阪に4日間もいてしまいました。
初日のイベント、なぜか雨、かなり雨、死ぬほど雨......
あの場にお客さんが居てくれたことが不思議。(笑)
でも、雨の中、傘もささずに待っててくれたファン、
そしてなぜか来てくれた うちの親父、ありがとう (^▽^)v

写真はリハ。 緑ジャージが俺。
で、向かって右のアコギマンはダイアモンド☆ユカイ君。
20年近くぶりだなぁ.... やはり痩せていた。 さすがロッカー。
ダイアモンドは、ごぶさたしていた20年の間に
俺がプリンスになっていたことに、とてもおどろいていた。(笑)
終わってから飲みに行った。
世間話、昔話 もろもろ.... 楽しかった。
また東京でね〜〜って、電話番号を交換した。
ダイアモンドは、俺の携帯に赤外線機能が無いことにびっくりしていた。(笑)
二日目、外の仕事はなし。
大阪の俺の実家。 一応 俺の部屋が残ってるんだ。
1977年4月16日。
家も親も故郷も捨て、音楽に嫁いだ あの日のまま.....
そして本棚には、当時俺が買った音楽雑誌が数冊残ってる。
そこですごいものを見つけてしまった。

ヤングギターのほう。
この本。中の記事は、もちろんフォーク全盛の頃の
陽水やケメ等の記事がメインだったのだが、(ニューフェイスってことでファーストアルバムがでたばかりの荒井由美も出ていた)その中のコーナーに
「やっぱりミュージシャンはブルージーンズ」ってコーナーがあって(笑)、
当時の人気アーティストの履いているジーンズのブランドや型を特集していた。
その中に..... 奴はいた。(笑)
なんと、その特集の冒頭に当時のファッションリーダーとして、
俺の大好きなmojoこと、とみたいちろうオヤジがスーパーモデルも顔負けのポーズで どうどうと登場していたのだ。
とみたいちろうオヤジは当時、シンガーとしては、
日本のロックを変える男と言われた業界の風雲児だったんだ。
いやいや、それどころか 当時のファッションリーダーもかねていたとは...
恐るべし....M o j o 。 今度会ったら、冷やかしてやる。(^▽^)v
3日目、晴れ、ライブの時だけ雨。(笑)
遠藤がやってきた。 5時に大阪に来て9時に帰って行った。(笑)
イベントのあと一緒にお好みを食った。
ソロアルバムの曲作りが難航し、速攻で東京に戻ってバリバリ作曲しなきゃならないんだそうだ。
俺もいつもそういう思いをしてきたので、気持ちはわかりすぎるほどわかる。
これといった理由があるわけじゃなく、なぜかギリギリになってしまうのだ。
たとえば、さくらの場合、最初の頃はアルバムの発売がいつも春だったので、
レコーディングは年明けすぐってことになる。
それに合わせて、すべての曲を前年から作り貯めしておけば良いと思いつつ、
でもなぜか(笑)、できないまま年末を迎える。
そして、堪忍袋が切れたランティスのまっつーに
「このままでは間に合いません、どうするつもりなんですか」と脅され
世間がどっぷり休息しているお正月のあいだじゅう、
一人で泣きながら曲を作り続けるハメになったのだ。
しかも、同じことを毎年繰り返して来たのだ。
ある意味、俺ってすごい .... だろ?...... しーん ( ̄― ̄;)
なので、やっぱここは100パー自分が悪いので、
自分でなんとかするしかないのだ。
でも、自分でやりきったあとは、最高の美酒に酔えるのだよ。
そう、苦労のあとに喜び有り、涙のあとに笑い有りだよ。
遠藤君、いっぱい苦しい思いをして愛情たっぷりのセカンドアルバムを作ってくれ。
君のファンも、全世界のアニソンフリークも心から楽しみにしているよ。(^▽^)v
4日目。 ソロライブ、秋晴れ。(^▽^)v
今日のライブハウス、「京橋ベロニカ」はライブハウスと言えないくらい豪華なお店。
で、お客さんの椅子がまるで銀座か北新地のクラブのような豪華な椅子で
そのせいでお客さんが店一杯に広がってゆったり座ってる感じで。
ちょっと不思議な空間だった。

でも、ライブはやりやすかった。
イベントは曲数が短いし、リハーサルもほとんどできないので、
なかなかコンディションの良い状態でアコギを弾き、かつ歌うのは困難。
なので、機材も良いし、きっちりとリハもできたので今日は
自分らしい歌が歌えたと思う。
来月 11月12日、また大阪で、今度はクラブジャングルでアコギ。
一ヶ月先のライブでどれだけ 進歩させられるか...
最近、アコギが楽しい。